色鉛筆日記

サラッとスケッチできるようになることが目標です

絵を描くトレーニング 今年の目標は

次の目標 

① 線を一本で描き切る

② 力を抜いて描く、塗る

③ 鉛筆を正しく持つ

 

①形をとる時、同じところに二重三重に線を引く癖があるので、できるだけ線一本でスッキリ描くようにしたいです。一本で決めきるという意味ではなく、線を無意味に重ねないということ。線が幾つもあると、どれが正しいのかわからなくなります。生き生きとした線が描けるようになりたいです。

 

②わたしは筆圧が強いので、普通にしてると全体が濃くなります。鉛筆の跡も残りがち。意識して力を抜いて軽く描けるようにしたいです。

 

③上記の①②の関連というか、元になることですが、鉛筆の正しい持ち方を身につけたいです。中学1年のときに鉛筆の持ち方がおかしいと先生に指摘されました。けれど直さずに来てしまいました。変な持ち方のせいで力が入りすぎてすぐ疲れます(だから筆圧が強いのかも)。楽に長く続けたいので、これ大事だと思います。

キーワードは「丁寧」

昨年1年間は、とにかく練習すること、基礎トレーニングのようなつもりで毎日何かしら描くようにしていました。

 

花図鑑を見ながら、毎日一つずつ花を描いていました。毎日、、、ではなくサボった日もあるので、1年以上かかりましたが、今日ようやく最後のページの花を描きました。これで画力が上がったとは到底言えないけれど、やりきった満足感はあります。

最初の花と最後の花を見比べて、上手になったと思えれば良かったのですが、どう見ても最初の花の方が上手く描けてます。悲しい、、、

それは丁寧に描いたから。

 

わたしのキーワードは「丁寧」のようです。

 

丁寧に描いた時は、きれいに描けてます。本を見るだけでなくネットで花の生態について調べたり、どんな風に咲いているのか写真をたくさん見たりして描いたので、その花らしく描けました。時間がないからと雑に描いた時は、クレヨンで描いた子供の絵のようになっています。子供の絵のようという表現は、適切じゃないですが、この場合平面的、立体感がない、というような意味です。

 

丁寧に、を第一にもう一段絵の階段を上れるようにトレーニングを続けたいです。

チラシが魅力的

新聞に入ってくるチラシ、わたしはあまり見ない方でした。でも、絵の練習を始めてからは、チラシに載っている野菜や果物がすっごく素敵なモチーフに見えて、毎回「これ描いてみよう!」と取っておくことが多くなりました。実際描いてみると、意外とうまく行ったり、全然描けなかったり、奥の深いチラシです。

 

チラシを注意深く見ていると、だんだんわかってくることがありました。チラシを作る制作会社は素材の写真をストックしているんだな、ってこと。このスーパーにはこの写真、あのデパート用にはこの写真。実際その時売っている人参じゃなくて、用意されている人参の写真が使われているんだな〜って。当たり前の話ですよね。でもそんなこと、今まで考えたこともありませんでした。そんなチラシの裏側まで想像できて、なんだか楽しかったです。

できないから、楽しかったんだ。できるようになったら、つまらない

なんとなく

自分の望んていた程度には絵が描けるようになって

次何をしたらいいのかわからなくなった。

「絵が描けるようになったら、あれしたい、これしたい」

と思っていたことのすべてが、全然やりたくない。

ホントにしたかったことじゃないのか?

 

学生の頃

試験が近づくにつれ、無性に本が読みたくなったものだ。

普段本なんて読んでないのに…

それと似ている。

絵が描けないから◯◯できないというのは

単なる言い訳だったのか?

「ホントにやりたいこと」が本当はできない言い訳だったのか?

 

こんな時どうすればいいか知っている。

60年も生きてきたから、経験している。

とにかく、一歩踏み出すことだ。

何でもいいから、始めるのだ。

やる気がなくても、ひとつ始めるのだ。

 

絵が描けないってどういうこと?③

子どもの絵と成長について調べていたら、とても興味深い記事にたどり着きました。

J−STAGE(科学技術情報・流通総合システムJ-STAGEは、国立研究開発法人 科学技術振興機構JST)が運営する電子ジャーナルプラットフォームです)に載っていた論文です。

総感覚で描く絵 ー幼児の絵と成人の絵の共通性データと考察  千場良光氏

A4で20ページの長さですが、最初の6、7ページくらい読むだけでも、開眼するのに十分です。ぜひ読んでもらいたいです。

物の認識の仕方が成人と幼児では違うこと、絵の描き方には「視覚型」と「接触型」の2タイプがあること、という既存の研究の紹介の他、ご自身の体験や見聞を基にヒトの総感覚で描く絵(総感覚的写実画)についての考察が記されています。

 

この論文を読んで

自分の思っていた「絵が描ける」とは、目で見えた通りに描けること、その技術を持っていることでした。見る力、形をとらえる力、紙という平面に立体的に描ける力を身につけることでした。

「それがそれらしく見える絵」と、自分では「絵が描ける」ことの目標を低く設定しているつもりだったけれど、それは視覚的な絵という、ほんの狭い範囲の中での話でした。絵に対する常識が振りはらわれた感じ。絵を描くことの定義はもっと広くて、視覚的にリアルな絵(目で見て描く絵)は一つの部分でしかない。五感と感情を持って対象を描くことが絵を描くことなら、誰でもできるのだと、誰でも自然に備わっている力なのだと強く感じました。

 

そして、わたしは絵が描けないのではないとわかりました。わたしは絵を描ける。ただ、描く方法を知らなかっただけだと。それも視覚的リアルな絵を描く術を知らなかっただけだと。

 

それ以来、わたしは絵が描けるようになりました。もちろん下手だけど、絵が描けない人ではなく絵が描ける人になりました。わたしは絵が描ける!誰でも絵は描ける!

 

簡潔に言葉にすることが難しくて、なかなかブログを書けませんでした。今も十分に書けたとは言い難いけれど、この思いをひとまず形にしないと次に進めないと言う気持ちでこの記事を書きました。絵も文章も本当にもどかしい。

 

このブログを読んでくださった皆さんには是非是非、上で紹介したリンク先の論文を読んでもらいたいです。そしてご自身で個々に感じたものを大切にしてもらいたいと思っています。

 

 

 

 

 

絵が描けないってどういうこと?②

9歳ごろに絵を描かなくなるって…ほんとかなぁ…と、ネットで検索してみました。

子供の絵の発達についての興味深い記事が幾つも出てきました。その中で素人にもわかりやすく書かれてあったのがこのサイトでした。

 

子どもの絵はこう進化する!(保育士バンク!のコラム)

 

子どもの絵を分類すると大まかに1歳6ヵ月~2歳6ヵ月頃の「なぐり書き期」、2歳6ヵ月頃~4歳頃の「象徴期」、5歳~8歳頃の「図式期」の3つの段階に分かれると言われています。(保育士バンク!上記コラムより)

 

なぐり書きを経て、丸や渦巻などの図形を描き、図形に意味づけをし(象徴期)、だんだん物の特徴をとらえた形を描いていく(図式期)、ものすごく大雑把にいうとこんな感じです。詳しい説明は上記のリンクページでご確認ください。

 

5歳~8歳頃の図式期は皆さん覚えているでしょう。ギザギザ3つのチューリップとか三角屋根に四角のお家、窓は田の字で太陽は〇に放射状の線。お決まりの記号のような絵を描いていましたよね。これは多くの人が描いていたと思います。この絵ならワタシも描けます!!

 

じゃあなんで今、絵が描けないと思うのでしょうか?それは・・・

写実的な絵が描けないっていうことではないでしょうか?立体的で本物らしいリアルな絵、それができないということ。

 

図式期のあと9歳ごろ、小学校3年生と4年生の間に何があったのでしょうか。それは成長という名の大きな変化、ですよね。つづく…

 

絵が描けないってどういうこと?①

一般に、人は9歳ごろに絵を描くことをやめると言われています。

(『ゼンタングル101パターン集』ブティック社 Beate Winkler&friends著 のQ&Aより)

先日図書館で借りてきたゼンタングルの本を読んでいて、引っ掛かった部分です。絵を描くことが苦手な場合、ゼンタングルはむずかしいか?という質問に対する回答です。更にこう続きます。

それ以降、通常人は絵を描かなくなり、別のことに焦点を当て始めるようです。ですから、その後に絵を描こうとすると、私たちの絵は子供が描いたようになってしまうのです。(中略)絵を描くのにも練習が必要なだけです。

 

思いあたる節があります。わたしも小学三年生までは絵を描いていました。少女漫画が好きだったので「将来の夢は漫画家」と無邪気に答えていました。その時、あぐらをかいている女の子の絵(多分、自分の姿)を描きましたが、あぐらのあしが両足とも「くの字」になって交差しているだけで、自分でも変な絵(下手くそー)だと思っていました。周りの友達は「うまい、うまい」とほめてくれましたが、すごく居心地の悪い気分でした。おかしいと気づいていても、どうやったらいいのかわからなかったし、そもそもそういう気持ちを言葉にできなかったのです。それ以来、絵の記憶がありません。

 

自分だけの経験ではないのか?みんなと言うか、そういう人が多いのか?絵が描けないと思っている人はそこで躓いたのか?

 

すごく気になって色々調べてみました。つづく…