色鉛筆日記

サラッとスケッチできるようになることが目標です

花の絵とゼンタングル

絵を描くことに慣れるため、毎日植物図鑑の花を一つずつ描いている。これは楽しくて、今日のお花は何かな~帰ったらすぐ描こう!と思ったりしている。会社で嫌なことがあっても、今日描く絵のことを考えると不思議と心が落ち着く。

 

花を描いていると、「ゼンタングル」という線画のことを思い出す。(ゼンタングルについて説明すると長いので興味がある方は検索してね)

 

花の縁どりをしたり葉っぱの葉脈などを描いていると、あ、これはゼンタングルの〇〇というタングルに似ている、ゼンタングルは自然の造形のなかから生み出されたのかもな~創設者は絵の上手い人だったんだろうな~と思いいたる。そして久々にゼンタングル描いてみたいな~と思う。ゼンタングルの魅力再発見という感じ。

 

 

つらい・・・色鉛筆ワークブック

色鉛筆ワークブックをまじめにやった。丸を三つ四つ塗るだけで1時間かかった。更に四角だのスペードだの形を塗るだけで1時間かかった。合計2時間。疲れた。頭がぼーっとしてやる気も失せた。楽しくない。スポ根なみのトレーニングのように感じてしまう。つらい・・・

 

この辛いトレーニングの果てには「上達」があるのだろうか。楽しくないものを無理矢理続けていって、身に着くのだろうか。

 

デジャヴだ。以前に韓国語の力を伸ばしたくて「しっかり身につく中級韓国語トレーニングブック」というのをやったことがある。吐き気がしそうなぐらい辛かった。でも、途中で投げ出したら絶対に上手くならないという、なんだか脅迫めいた思い込みで、ヘロヘロになりながら最後までやり切った。

 

しかしそのワークブックのおかげで飛躍的に力がついた、とは思えない。

 

今回も同じニオイがする。やめてしまいたい。実はもう1冊、今はこの本やめとこうと、挫折したものがある。こうやって挫折体験が積み重なっていくのもいやだなぁ。

 

つらい、やめたい。やめたい、つらい。趣味なんだから我慢することはない。なんで悩む。やめようよ、わたし。

 

 

 

ちなみに吐きそうなくらい辛かった韓国語のトレーニングブックはこちら↓

 

 

お魚描くのって楽しい!絵日記風に夕飯のメニューを描いてます

最近、夕飯に食べたものを絵日記風に描いている。思い出しながら描いたり、写真に撮って見ながら描いたり、ネットで同じメニューの写真を検索してそれを見ながら描いたり。

 

絵のレベルが低いので、後から見て何を描いたか分からないことが多い。で、もう一つの趣味である韓国語で料理名や素材をメモすることにした。一石二鳥!いいじゃん!いいじゃん!(日本語で書くとすぐわかるので、一瞬ではわからない外国語はこういう時とっても便利)

 

リアルに描くことを求めていないので、なんとなく分かればいいことにしている。料理をそれらしく描くのってけっこう難しい。できそうもない時は素材の方に重点を置いて描いている。そこで気がついた。

 

お魚描くのって楽しい!

 

魚はだいたい同じようなプロポーションだが、色が違う。それぞれ特徴ある色をもっている。そこには色鉛筆が大活躍。さかなクンがお魚上手に描いているのをテレビでよく見ていたけれど、描きたくなる気持ちがよーくわかった。本当にお魚描くの楽しい!みんな違うから、その特徴を見出すのが楽しいんだ。

 

肉好きの我が家だったが、絵日記始めてから魚メニューが増えた。

 

 

 

地道に練習 色鉛筆ワークブック

絵を習っていると言っても月2回のレッスンだけ。当然それでは描けるようにはならないので、家でちまちま練習している。

 

わたしの疲労の原因を教えてくれた↓

yusa8.hateblo.jp

「河合ひとみ」さん著『色鉛筆ワークブック』を地道にやっている・・・ウソです、Chapter1 の Lesson6 まではなんとか頑張れたが、ワークブックの名の通りまさに基礎練習、訓練、といった感じで、ついにギブアップしてしまった。

 

主に色の塗り方の練習で、色鉛筆の基礎、これからの土台となるものには間違いないが、要するに塗り絵の練習なのだ。小さい頃に散々やりましたよ塗り絵。好きだったし上手にできてた!(但し幼い子レベルで)

 

大人の塗り絵はブームになっていて、色の濃淡で明暗を表したり、陰影をつけたりと高度で、絵画的楽しみがありハマるのも頷ける。でも今のわたしは塗り絵にあまり興味がない。明暗のその前にカタチ、形が描けるようになりたいのだ。

 

と、ここまで書いてブログの下書きに保存していたら、時間とともに状況が変わった。

 

今はまた、地道にワークブックに取り組んでいる。なぜ?

わたしは筆圧が強い。鉛筆の持ち方も変だ。親指を人差し指の中に握り込んで持ってしまうので、力が入り過ぎてすぐ疲れてしまう。中1で先生に指摘されたが直さず50年も経ってしまった。長年の癖を直すのは難しく、直そうとしていても気がつくと元に戻っている。筆圧のコントロールが苦手。そこでこのワークブックのお出ましとなった。

 

新たな視点でよーく読んでみれば、最初のトレーニングは力を抜くことだった。これだーーーわたしに必要なことは!!!

 

本に直接描き込むのには抵抗があって、前の時は自分で形を描いて塗っていた。それも途中で投げ出した原因の一つだ。手間がかかるから。今回は本に直接塗り込むことにした。本をきれいに使って後で売ろう、なんて考えまい。使ってなんぼ。みっちり使って身に付けよう、と今は思ふ。。。

 

 

 

道標となる本

何かができないと、周りから固めて行こうと思ってしまいます。ラクしたい、効率よく身に付けたいと道具に頼ります。わたしの場合独学から始めるので、まず本です。

 

実用書の場合、図書館で借りて良いと思った本を買ったり、実際に本屋さんで手にとって中身を確かめてから買う場合が多いです。本屋さんは魅力的です。お目当ての本と同じ棚で面白そうな本を見つけると、予定になくてもついつい買ってしまいます。そういう勢いで買った本の一つがこれです。

 

 

タイトルに惹かれました。すぐにできるようになりたい!と思っているけれど、そう簡単じゃないとはうすうす気づいていました。しっかりパンチをくらいたいと思ったのです。

 

この本は絵の描き方ではなく、絵のトレーニング方法を提示する本です。amazonのレビューにはけっこう厳しいものがありますが、それはある程度絵の描ける人が、求めていた内容ではなかった場合のように感じました。わたしはとても役に立ちました。

 

まず頭の中を整理できました。自分の求めるものが何かをはっきりさせることができましたし、そのために必要なこと=やることが掴めました。

 

何度かブログにも書いた「手段としての絵」という概念が、自分の求めているものだと気付かされたこと、絵がうまいには二つあり、わたしの言う「絵が描ける」は、物の形を知っているという「うまさ」であるのもわかりました。(ちなみにもう一つの「うまさ」はテクニック的に上手い、巧いであり、文字通り絵が上手という場合です。)自分は絵が上手くなりたいんじゃなくて、絵が描けるようになりたいんだーーーという思いが見事言葉で説明されていて、すっきりしました。

 

迷ったら立ち止まって戻る原点のような本になりました。必要なときに読み返すと、もやもやした霧がはれて道が見えてくる、わたしにとっては大切な本です。

最初に買った本

絵が描けるようになりたいという思いは、時々思い出したように湧き上がり、そのたびごとにイラストの描き方等の本を買っていました。最初パラパラと見て、少しはやるけれど身に付かず、やっぱダメだわ〜とブックオフに持っていくことを繰り返していました。誰でもできるイラストの描き方、〇〇歳から始める〇〇画、1ヶ月で絵が描けるようになる、といった類のタイトルの本の数々。軽〜く挫折して忘れてまた買う。

 

もともと絵が好き!とか絵を描くのが好き!というタイプではなかったので、デッサンのような地道な修練はしたくないと思っていました。そんな中見つけたのがこの本です。

 

 

そうそう、これこれ、伝わる絵。上手な絵が描きたいんじゃない(もちろん上手にはなりたいけど)、何を描いたかわかる絵、他の人に伝えられる絵が描けるようになりたいんだ!わたしにピッタリかも!

 

1ページ1ページ、そっかーそうだったのかーと目からウロコ落ちまくり。意欲的に練習できました。ひと通りテキストを終えた頃、どんなに描けるようになっているかとワクワクしてました。ところが、テキストの通りにはできるけれど、テキストないと全く描けないことに愕然としました。なんだか分かったような分からないような。

 

 

でも良い本だと思ったので、同じシリーズの本をまた買いました。

 

 

こちらの本は半分ほどやりました。最初の桜はすごく良かったです。★を描くと桜の花びらが描けます。それはすごいコツだと思います。桜の花は身に付きました。でもこの本もまた、本の通りにはできるけれど、それ以外のことはできない。応用できないわたしでした。

 

この頃から、本から離れたら何もできないのでは、描き方の本だけでは絵は描けるようにはならないんじゃないかと感じ始めていました。

 

 

スタート地点はここから 〜絵が描けるようになりたい〜

絵が描けない人のことは何て言うんでしょう?言葉の幅を考えると難しくなるので、日常会話でさら〜っと使う場合のことを考えてみます。一言で言える名詞があるかどうか。

 

歌うのが苦手な人は、「わたし音痴だから〜」

運動苦手な人は、「運動音痴だから〜」「運動神経ないから〜」

字を書くのが苦手な人は、「悪筆だから〜」

絵が苦手な人は、「絵心ないから〜」

 

でしょうか?ちょっと違うような・・・

 

音程外れて上手に歌えなくても、歌は歌えます。

運動神経なくても、体を動かすことはできます。

字は汚くても、学校で習っていれば書けます。

絵が下手でも、絵、描けます???か?

 

絵に関してだけ自分が厳しいのかもしれませんが、わたしは絵がまったく描けませんでした。形が思い浮かばないし、見ても形が取れません。そこがスタート地点です。

 

絵が描けなくても日常生活に不便はありません。自分の周りも「絵なんて描けな〜い。絵が描ける人っていいよね〜」という人が多いです。「絵」というのは自分ごとじゃないと思ってきました。ただ、不便ではないけれど「絵が描けると便利だな」とは、事あるごとに感じていました。

 

思いが強いと実現するんです。絵が描けない〜絵が描けない〜描けるようになりたい〜としょっちゅう人に言っていたら、「大人でも習える場所あるよ。公民館のじゃなくてアトリエとか、調べて見たら?」その会話がきっかけで、絵を習うことになりました。そして1年経ちました。

 

わたしが身に付けたいのは絵のスキル。作品としての絵を描く力ではなく手段としての絵を描く力を身に付けたい。絵もほかの学習と同じように、何か方法があるのではないか?できればラク〜に楽しく身に付けたいと、日々模索しております。そんな虫のいい話はないって、わかってはいるんですけどね・・・

 

「絵が描けない」から「描ける」ようになるまでの記録、綴っていきたいと思います。